鮫島佐太郎窯を訪ねて

- Hioki-city, Kagoshima

「沈壽官窯」が、15代を筆頭に、工人の力をあわせて陶器を作る近代的な工房だとしたら、「鮫島佐太郎窯」は、同じく410年の歴史を持ちながら、先代の思いと技を一子相伝的に伝えていく、孤高の窯元ともいえる。
実は、長尾さんが初めて「佐太郎窯」の器を目にしたのは英国の大英博物館でのことだった。「この重厚な、味わい深い器はどこの国のものだろう?」と心惹かれ、説明書きを読むと苗代川焼き記されていて、驚いたという。その後佐太郎窯を訪ね、昔ながらの苗代川の民陶のよさを最も残している窯と知った。

佐太郎窯の成り立ち

人里離れ、そろそろ心もとなくなる頃、茶畑に沿った細い道の途中に苗代川焼きののぼりが見え、ようやくそこが窯元であることがわかる。工房の裏には、陶片が無造作に捨てられ、その昔使っていたであろう瓶や石臼なども置き去りにされ、時が止まったような静寂に満ちている。「佐太郎窯」の成り立ちは、「沈壽官窯」と同様に、島津義弘が朝鮮から連行した陶工の一人をルーツとする。腕利きとして名を馳せた朴平意だ。以来410年の長きに渡り、先人が開いた道を真摯に踏襲することで、プリミティブな力強い美しさを受け継いできた。

上:苗代川焼の歴史について鮫島佐太郎さんの話を聞く長尾智子さん。 下左:時が止まったように穏やかな空気が流れる。 下右:のどかな風景の中に佇む工房。

民陶としての素朴な美しさ

陽光に満ちた外の明るさから一変、ひんやりと薄暗い工房の中には、さまざまな黒薩摩が所狭しと並べられている。
「暗さに目がなれるまで、なかなか見えない(笑)。でも、しばらくすると、どの器も、野趣あふれる力強さの中に、受け継がれてきた品格を宿していることに気づき、心に響きます。外に持ち出してみると、微妙な色の美しさにはっとしたり。ニュアンスのある黒、鈍く光るモスグリーンや飴色……」と長尾さんが言えば、「グリーンは、海外の人からは珍しがられる色です。釉薬の具合で、幾重にも色が変わるのです」と13代鮫島さんが返す。

上:酒盃としても、小皿としても使える黒薩摩の小鉢。 中左:輪花を思わせる品のいい黒薩摩の小皿。 中右:築80年、雰囲気のある建物は、昔ながらの民陶の魅力を今に伝える。 下左:2階には瓶や鉢など大型の日曜雑器が置かれている。 下右:黒薩摩に混じって、白薩摩の小鉢や向付も置かれている。

上:江戸時代からの鉢の奥には先代の鮫島佐太郎の肖像画も飾られている。 中左:昔から使われている土や上釉の見本。 中右:手仕事の尊さが伝わる仕事場。 下左:酒器、小鉢、平皿など、食卓を彩る器が揃う店内。 下右:今は主にガス窯を使用しているが、昔ながらの薪窯も残っている。

伝統を今に生かした品格のある器

1階には主に皿、小鉢、酒器、などの日用雑器類が置かれ、2階は、江戸時代からの代々の苗代川焼の作品が多く展示されている。瓶や壺などけろくろで引く大型の雑器を多く、当時の暮らしの様子が垣間見える。
もう一つ、「佐太郎窯」の代表ともいえる作品が、児童文学家の椋鳩十が「黒い太陽」と名付けた楕円の皿(下の写真でけせんだんごを盛りつけた器)だ。二つずつ重ねて焼くことで、縁の部分だけ釉がかからずに、マットな素焼きに仕上がる。佐太郎窯発祥の技法だ。
「苗代川焼の窯元は、現在では15~16軒残るのみです。苗代川焼窯を名乗るためには、どこかで血筋を引いていないと名乗れないのですが、最も大切なことは、薩摩の土を使い、伝承の釉薬を使って焼くこと。幸い黒薩摩の土はまだ地元で手に入ります。いかにして、伝統を守りながらも、形骸化したものではない、生活の中で必要とされる器として残っていくかが、課題ですね。その道を常に模索しています」と現当主の鮫島さんは言う。
佐太郎窯と沈壽官窯、対照的な二つの窯を訪れると、薩摩焼の魅力が一層深く理解できるに違いない。

椋鳩十が命名した縁がマットな「黒い太陽」にけせんだんごを。ほうじ茶と。
酒盃に小ぶりの黄みかんと塩ゆでしたそら豆
鮫島佐太郎窯

鹿児島県日置市東来町美山456

tel&fax 099-274-2450


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