選んだ器、そして盛りつけ

- serving fish, serving food

目で見、手にとり、肌合いを確かめ、長尾さんの心にぴんと響いた器たちに、地元、鹿児島で買い求めた野菜や果物、菓子類を盛りつけてもらった。素材がプラスされると、それまでおとなしく黙っていた器たちが、軽やかにおしゃべりを始め、長尾さんの世界観が表へと表れる。工房で見て美しいと思った器たちが、さらに何倍にも輝いて見えるのだから驚く。そんな器たちの表情一つ一つを楽しんでほしい。

柑橘類はいくつか合わせて盛るだけで、色と風味の違いを楽しめる。
繊細な色みの茶器は、日本茶だけでなく紅茶の色もよく映える。
ふくれ菓子とぼうろ、どちらも黒糖入りのこくのある味。
けせん団子はオーバルの器に形に沿って盛りつけてみる。

おおらかな南の国へ 
―長尾智子

私にとっての九州は、開放感のある空気で満ちている、暖かい風の吹く異国の地だ。何度足を運んでも、行く度に新しい何かに出会うから、気分はいつまでも初心者のまま。未だ見るもの聞くもの珍しく、そして興味深い。数年前、鹿児島をきちんと見ようと思い立ち、福岡での仕事を終えてすぐに新幹線に飛び乗った。その頃はまだ、博多から鹿児島中央まで行くには、新八代で乗り換えて2時間と少しかかったけれど、夕暮れ時の東シナ海の美しさは、まさに異国に足を踏み入れる気分だった。その景色に、不案内な心細さがいつの間にか期待に変わったことを思い出す。東京で一番早く店先に並ぶそら豆は、鹿児島産が多いが、現地では売り方までも違っている。駅前の市場で見つけた小振りなそら豆は、さらに瑞々しく、袋にずっしりと詰まってお買い得。早春に見かける、“うすい”という淡い緑のグリーンピースも美しい。春を告げる野菜は、いつも鹿児島からやってくるのだ。
そしてお菓子。温泉が多いせいか、私にとっての鹿児島は「蒸しもの」のイメージがあって、実際、蒸気から生まれたお菓子が多い。中でも軽羹は、これ以上省きようのないくらいシンプルなオフホワイトの生地の中に、蒸し菓子の愉しみと技が詰まっている気がして、ふっくらとした姿にしばし見とれてしまうほどだ。「餅」とつくお菓子は、高麗餅、煎粉餅など、軽羹のシックな仲間もあって、そのあたりは少しよそ行きの雰囲気もある。ふくれ菓子、けせん団子、灰汁巻きとなると、大らかでユニーク、しかしちょっと洒落ている。すらりとしたけせん(肉桂)の葉で包まれたお餅には、ほんのりシナモンの香りが移っているという具合なのだから。風貌は飾り気がないのに、ただ者ではない感じ。そんなお菓子や素材のいろいろを、薩摩の器に盛ってみた。
沈壽官窯の端正な器は、佇まいの凛とした軽羹のようなお菓子、佐太郎窯の表情のある黒は、野菜の自然な形がよく似合う。沈壽官窯の作品は、実は今まで、私には敷居が高い気がしてなかなか選べなかった。今回、大振りな鉢に皮をむいただけの柑橘類を合わせてラフに盛ると、器がふと力を抜いたように、身近に感じるから不思議だ。 佐太郎窯は、宝もの探し。モノトーンの色味は、陰では硬質にも思えるが、日の当たる場所に連れて行った途端、その色の深みに驚かされる。以前北欧の旅で買った、手作りの器に合いそうな気がしてくる。
対してCrateやONE KILN、CHIN JUKAN POTTERYの器には、鹿児島の風土と今の気分がミックスされている、といったところだろうか。何を盛っても違和感なく馴染みそうな感じがある。しかし、違って見えても出所は一緒。食べ物や手仕事は、その土地の気候風土、人の気風でできているから、ディテールから離れて全体を見ると、不思議と雰囲気が似通っている気がする。根っこのところの骨太な気風で繋がっているということだろう。そこが一番面白いところなのだ。

小さなカップは、焼酎によし、突き出しや料理に搾る柑橘にも。
ゆでた熱々のそら豆にEXVオリーブオイルをたっぷりかけて。
同じ器に何種類ものお菓子を少しずつ。旅のお土産を楽しむ方法。
蒸した安納芋の盛りつけは、器の形とお芋の色を生かしておいしさを演出。
あとがき

九州に繰り返し行くようになったのは、器の開発に関わるようになってからだ。始めは福岡だけのピンポイントだったのが、いつの間にかあちこちに足を延ばすようになって、九州の多様性にわくわくと楽しんでいるところ。思えば、使い続けているのは唐津焼の鉢、小代焼のお皿、波佐見焼のカップなど、九州出身の器が多い。南に下って鹿児島の陶磁器は、西郷さん的な土台の堅固さに、ほんわか温かい蒸気がほんの少し加えられたようなものかな。まだまだ発見が続きそうだ。


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