趣のある渡り廊下。両側に庭を臨む。

洋々閣

- Karatsu-city, Saga

自然と歴史の恵まれた唐津の町に佇む
慎ましやかで美しい宿。

上:館内で唯一モダンな空間としてあるロビーラウンジ。 中左:柿沼守利氏設計によりリニューアルされた十坊(とんぼ)の間。 中右:凛とした玄関。水を打った石の床面にすがすがしさが。中庭の光が廊下の奥から漏れてくる。 下左:特別感のある「作用姫の間」。居心地の良さから昼寝をする人も居ると聞く。 下右:ギャラリー内の空間。

穏やかな玄界灘に寄り添う
古き良き日本旅館の洗練

洋々閣の玄関を入ると、張り詰めた空気にピンと背筋が伸びるような、凛とした日本旅館の佇まいである。道路から見れば旅館に入るには入り口がふたつ。白い大きな暖簾がかけてあるのはギャラリーの入り口だ。初めての人は間違えそうだが、旅館の落ち着いた入り口には、慎ましやかに「洋々閣」の標識が掲げてある。水の打たれた、掃除の行き届いた玄関先に。玄関の戸を開けて中に入ってもそれは同じで、石の床にも打ち水を忘れていない。古代は神様の通る道として、江戸時代からは埃を押さえ、夏の涼をとるため、客人を迎えるための楚々とした日本の風習である。日本旅館に泊まるたびにやや緊張感に包まれるものの、玄関先に膝をつき、迎え入れてくれるスタッフの満面の笑みに肩の力も取れ、喜びも一入となる。

伝統的な日本らしさだけが洋々閣の魅力ではない。柿沼守利氏の修理設計で平成13年に完成したというラウンジには、籐の椅子がゆったりと並ぶ。伝統美にモダンさが同居する空間で、ゲストは読書や食後のひとときを楽しむという。朝に夕に客人が自由に使えるラウンジからは、みごとな日本庭園が眺められ心落ちつく空間である。
また風が通る立派な渡り廊下の両側からも庭園が見え、樹齢が200年余りという松の木々が、あえて‘自然のままに’と配慮された手入れにより、かえって生き生きのびのびと見える。先の渡り廊下を渡ると、広い庭に突き出るように造られた「作用姫の間」がある。シンプルで美しい日本間だ。日本間のシンプルさの裏には、日本間特有の決まりごとや伝統がきちんと隠れており、通り一遍の所作しか知らない筆者は、時折、無知な質問をしてしまう。ホテルに慣れ親しんだ者にとって、まさに憧れの日本旅館では、奥の深い日本の伝統や風習を知ることも多い。

洋々閣の客室は全18室。二つとして同じ間取りはないが、共通しているのは、どの部屋も和の佇まいが大切にされていること。しつらえはもとより、山や野原から摘んできた野の花を随所に飾り、何気ない季節感を演出する空間作りから、優しさが伝わってくる。

もうひとつ、洋々閣にとって特徴的なのが「器」へのこだわり、器の演出であろう。料理との相性、空間との融合……。料理の際に用いられる器は、厳選された唐津焼、有田焼の名品ばかり。なかでも唐津焼で抜群の人気を誇る中里隆氏の力強くも繊細な作品の数々は、館内のギャラリーでも展示販売されている。3つあるギャラリーでは、隆氏のほか、師となる父と同じ道に進んだ息子、太亀氏、二女花子氏の作品を見ることができる。

唐津の散策は明治大正から今を、
行っては戻るタイムスリップ

唐津が文化財に溢れ、見どころの多い、興味の尽きない街であることは意外と知られていないのではないか。

たとえば国の重要文化財である「高取邸」は、炭鉱王として財を成した高取伊好(これよし)の邸宅。唐津城にも近い約2300坪にも及ぶ大邸宅は和洋折衷、当時の技術の粋を結集した贅沢さは、今に残る近代和風建築として貴重な財産となっている。また、豊臣秀吉の臣寺沢志摩広高が築いたという「唐津城」、その天守閣は昭和41年に復元されたというが、絵のように美しい天守閣である。また国の特別名勝「虹ノ松原」には100万本もの老松が茂り、鬱蒼とした防風林はキレイな弧を描いている。洋々閣は、こうした文化財や自然遺産に寄り添うように静謐な時を刻んでいる。

上:玄海国定公園の一部である、唐津湾の沿岸に広がる「虹ノ松原」は日本三大松原の一つ。 下左:筆者。 下右:敷地7600m2、部屋数約30室。能舞台、70枚以上残る京都の絵師が描いた杉戸板の絵、そしてアールヌーボーの洋間、有田焼のトイレの床、貴重な調度品など見どころは尽きない。


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