天草の陶磁器とは

- Kumamoto

熊本でもう一つの焼き物の産地といえば、天草である。そのことを知る人は多くはないが、実は、日本でも有数の歴史と、日本一の陶石の産出量を誇る、焼き物の郷なのである。
天草最古の焼き物は、豊臣秀吉の朝鮮出兵で連れ帰った陶工に作らせたものだった。陶石の発見に伴い、1650年頃には近くで磁器が焼かれた記録が残っている。その後、高浜焼、水の平焼など、現存する窯が築窯されていく。その時代の一番の特徴は、天草自体が天領であったということ。そのため、他の産地のような藩の御用窯ではなく、村民が自活のために焼く磁器や陶器が主であった。だから、各窯はそれぞれの才覚で陶磁器を作ってきたのである。
現在は、天領時代の流れを汲む11の窯元が、天草陶石を使用した透明感のある白磁や、島の土を使った味わいのある陶器を作っている。2003年に日本伝統工藝の認定を受けたが、今も天草陶磁器としての共通項を有するということではなく、天領時代そのままに、それぞれの作風の追求に邁進している。
今回は、そうした天草陶磁器の特徴や歴史をそれぞれに体現したが3つの窯元を訪ねた。
まず一つが、天草磁器の発祥の窯の一つであると同時に、現在は天草陶石の採掘を一手に担う高浜焼。そして、海鼠釉など、土ものの歴史を受け継ぐ水の平焼。一方、現当主で5代の歴史を誇りながらも、伝統に甘んじることなく、若い力の育成にも力を入れる丸尾焼の3つだ。

上:18世紀後半に焼かれた高浜焼の平皿。格調のある海松紋は、現在の高浜焼にも復元されている。
中:海鼠釉を編み出した水の平焼の皿。手前の楕円の長皿が青海鼠、奥の飴色の小鉢が赤海鼠。
下:日常の食卓になじむ器を目指す丸尾焼の浅鉢の数々。
洗浄した陶石。鉄分の含有量によって、等級と用途が決まる。
陶石を粉砕して除鉄後、水に溶かして、再度固めて、粘土にする。
 

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