高浜焼寿芳窯で磁器の成り立ちを知る

- Amakusa-city, Kumamoto

陶石の採掘と高浜焼の歴史

高浜焼の歴史は大変に古く、開窯は、1762年に遡る。上田家の6代目が肥前から陶工を招いて、村民に習得させたのが始まりだ。その原料となったのが、天草西海岸で現在まで豊富に産出され続けている天草陶石だ。初期の窯跡が、採掘の現場に近い山の中に残っている。陶石は、高浜焼開窯以前は砥石として切り出し、広く販売されていたという。1771年には、かの平賀源内が、長崎奉行に提出した意見書「陶器工夫書」に、“天下無双の上品”と書き記した記録も残っている。その後7代の時代に最盛期を迎え、盛んに作られた染付や錦手はオランダ交易にも活躍した。工場に隣接する上田家の敷地にある資料館には、往時の風格ある作品が多数展示されている。

上:高浜焼の窯跡。江戸中期に築窯され、明治32年まで使用された窯の跡。もとは7口だったものが、現在4口だけとなって残っている。
中左:代々続く上田家の母屋。1815年頃に建造された、端正な数寄屋建築が見事。
中右:庭伝いに資料館へと歩いて行ける。
下左:1762年~1798年の間に焼成された錦手の絵皿。
下右:藍染めで象徴的に描かれた海松貝の紋が美しい大皿。この紋を現代に復刻させて、シリーズ化している。

近年、そしてこれからの高浜焼

明治半ば以降、一旦中断を余儀なくされるが、戦後、昭和27年より現代の生活様式に調和した、「白く、薄く、透明感のある」をモットーとした、上質な磁器が作られるようになった。戦後の高度成長時代には量産が求められたが、近年、高浜焼としての個性を追求した磁器造りに取り組んでいる。その象徴ともいえるのが、海松紋や双魚の復刻版のシリーズだ。 「海松紋は、復刻版なんですね。先ほど、展示場で、原盤となったお皿を拝見しました。重みと品格があり、惚れ惚れ見ていました。なかなか時を経たものの魅力にはかなわないけれど、古き良きものを残し、さらに進化させていこうという姿勢には拍手を送りたいです」と長尾さん。複雑な色絵である双魚の紋を写した絵皿も素敵だ。こうした古い高浜焼の復刻とアレンジは、今後の、高浜焼のかけがえのない魅力となっていくに違いない。

左:江戸時代中期に描かれた双魚の絵柄を復刻したシリーズ。資料館には、原盤となる器も展示されている。
右:復刻された海松紋の皿、現代的でありながら格調高く、見るものを惹きつける。

磁器ができるまで

磁器ができるまでを、工場長の古田寿昭さんに説明してもらった。陶器との一番の違いはもちろんのことながら、土作りだ。粉砕した陶石に水を加えて浸水させたのち、脱水、除鉄し、粘土成分だけを取り出して板状にする。再度溶かした粘土を石膏型に入れ、形成。
乾燥させたのち、900℃でいったん素焼きし、必要なものは絵付けを施し、その後、釉をかけて、1300℃で本焼き。これが基本の流れだ。

右:陶石を砕いて浸水させたのち、脱水、除鉄して粘土にする。板状に圧搾して保存。
上左:粘土に再度水を加えて溶かし、型に流して固める。 上中:ろくろで成形したのち、カナでエッジを整える。 上右:900℃で素焼きした状態。このあと絵付けをし、本焼きする。 下左:呉須(コバルト)で絵付けする。 下中:透明の釉薬にさっとくぐらせる。 下右:磁器作りを一から丁寧に説明してくれた工場長の古田寿昭さん。

採掘の現場を訪ねる

最後に陶石の採掘の現場へ案内してもらった。はるか遠くに見える採掘場では、山から切りだされた石が、次々、ベルトコンベアで運ばれてくる。それらは洗浄したのち、等級ごとに分けられ、肥前地域の上質な陶磁器から、高圧碍子に至るまで、それぞれの用途に応じて加工される。
「枯渇することはないのでしょうか? 素朴な疑問なんですけれど…」と長尾さん。器好きとしては、不安になる気持ちももっともだ。そんな質問に、工場長は笑顔で、埋蔵量にして数億トンと言われていますから大丈夫でしょうと答えてくれ、長尾さんも一安心。緑に覆いつくされた、遠い昔の登り窯の跡を、先ほど見た錦手や染付の器もここで焼かれたのだろうか、そんな感慨深げな様子で見つめていた。

上左:陶石が埋蔵されている山。白く見えている部分が陶石。
上右:切り出した陶石がベルトコンベアーで運ばれて、洗浄される。
下左:洗浄された陶石。この段階では、まだ分類されていない。
下右:鉄の含有量により分類され、それぞれ最適な用途に使用される。
1700年代に焼かれた海松紋の復刻版の平皿。

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高浜焼 寿芳窯

熊本県天草郡天草町高浜598

tel 0969-42-1114
fax 0969-42-0640


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