水の平焼を訪ねて

- Amakusa-city, Kumamoto

海鼠釉の元祖としての歴史

明治時代にレンガを積み上げて作った窯の煙突には、水の平焼の文字が刻まれ、青空によく映える。水の平焼は、高浜焼寿芳窯についで古い窯で、海鼠釉(なまこゆう)の元祖と言われている。その歴史は遡ること7代。明和2年(1764年)、岡部常兵衛が築窯し、地名にあやかり、水の平焼と命名した。3代目の弥四郎が、象眼焼きで一躍その名を全国に知らしめたが、4代が夭折したために、象眼焼きの伝統は途絶えてしまう。しかし、5代目が釉薬の研究に励み、いわゆる海鼠釉といわれる、あでやかに曜変する釉の配合を生みだし、水の平焼きが確立した。木灰と藁灰の2種を混ぜて厚くかけることで、あの、独特の艶やかな風合が出てくるのだという。
伝統的には青みが強いものが主だったが、5代目が研究の末、赤く発色する釉薬も開発。結果、青海鼠と赤海鼠との対比が、水の平焼の際立った特徴となった。

上:工房の奥に設えられた登窯。明治初期から使用されている。
中:鉄釉をかけたあとに鉄筆でライン状に釉薬をはぎとり、その上から全体に藁灰釉をかけて発色させている。白いラインの部分は、藁灰釉の跡。
下:窯の上には煉瓦で組んだ煙突が、水の平焼のシンボルとしてそびえる。

工房で作陶を拝見

工房へ案内してもらうと、7代目の信行さんが、もくもくと釉薬掛けの作業を行なっている。何十年も、同じ場所で同じ作業が続けられてきたのだろうと思える厳粛な空気が流れ、伝統が受け継がれていく様子を間近に見る思いだった。
庭には素焼きした器がずらりと並んでいる。2色の釉薬をかけ、窯に入れるのを待つばかりの状態や、高台を削る前のものなど、さまざまな段階の器が出番を待っている。長尾さんも、8代目岡部祐一さんの説明を熱心に聞いている。

上左:7代目当主・岡部信行さんは釉薬掛けを行なっている。 上中:写真手前が成形後によく乾燥した状態。写真中央は700℃くらいで素焼きした器。植木鉢と同じ状態で、吸水性はあるけれど、形は崩れない。奥は釉薬がかかった状態。このあと窯に詰めて本焼き。焼成後は青海鼠色になる。 上右:岡部さんが手にとっているのが、高台を削った状態。右隣が、まだ削られていないもの。 下左:まず、鉄分を含んだ釉薬を全体にかけ、器表面の水分がある程度乾いたら、その上から藁灰を多く含んだ釉薬をかける。鉄分を含んだ釉薬単独だと、焼成後は飴色になるが、釉薬が二重にかかっている上半分は青海鼠色に焼き上がる。下半分は飴色に。 下中:釉薬の発色の違いを熱心に説明する岡部祐一さん。 下右:焼成を待つばかりの器がずらりと並ぶ工房。
上:長尾さんが気になって手にとった浅い鉢と湯呑み。湯呑みは、弁柄(酸化鉄)と呉須(コバルト)で絵付けした磁器の湯呑み。
中左:伝統的な手法を守りながら、今の時代に生かす方法を、岡部さんと語り合う長尾さん。
中右:赤海鼠の小鉢にざぼんの砂糖づけを盛りつけて。
下左:弟の俊郎さん作の磁器のシリーズ。
下右:弟さんが市の依頼で製作したタイル。シンボルであるいるかが描かれている。

水の平焼の魅力と
今後への提案

いくつかの器を手にとりながらも、長尾さんが最も気に入ったのが、麦わら手のように灰釉の跡が残る小鉢だった。海の底のように深い碧と鉄分の茶のコントラストが美しい。伝統的でありながら、その風情はモダンでもある。「例えば、この肌合いで、高台のないボウル型の器だったら、和洋どちらの雰囲気にも合いますよね」と新しい水の平焼の可能性も提案する。8代目の岡部祐一さんは、なるほど、確かにそうですね、と深く頷く。
一方、弟さんは、陶石を用いた磁器づくりを中心に作陶活動を行っている。日常に楽しみながら使える器のほかに、市の公共施設のタイルなども手がけている。
「伝統とは、全く同じでも、全く変えてしまってもだめ。時代に沿って少しずつアレンジしていくことが大切なんだと思います」とは岡部さん。兄弟で幅を広げながらのこれからの水の平焼が楽しみだ。

手前が青海鼠の楕円の皿、奥が赤海鼠の小鉢。

盛りつけ後を見る

水の平焼

熊本県天草市本渡町本戸馬場2004

tel & fax 0969-22-2440


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