選んだ器、そして盛りつけ

- serving fish, serving food

海藻のモチーフは江戸時代の海松(ミル)の柄。笹で巻いた真っ白なお団子が映える。
海鼠釉をはじめ、どの器も艶があってしっとりした雰囲気。天草名物の蒲鉾の白さが際立つよう。
厚手の角皿に大牟田銘菓の草木饅頭を盛って、いろいろな豆皿を取り皿に。形の違いを楽しむ。

陶石と緑の島にて

山道を車で上がると、もうそろそろかなと思ったまた少し奥に、鬱蒼とした緑に囲まれた秘密の場所、と言いたくなるような窯の跡が現れた。ここ天草の高浜焼の開窯は、約250年前だそうだ。江戸時代中期といえば、あちこちで陶磁器作りが盛んになった時代。その頃は、日本人の食習慣に関する基礎が形作られた時代でもある。私たちが食べている和菓子も、大いにに発展した時期はこの頃。よく知られた「東海道中膝栗毛」という、食いしん坊な二人組の旅行小説にも、たくさんの餅菓子が登場している。江戸は、食事の形が確立した時期でもあるから、一汁一菜と漬け物、ご飯、といった庶民の食事においても、使い道によって形の異なる器が作られ、その役目も決まっていったのだろう。食べ終わったら、蓋がついた箱膳に入れておいたという。鉢やお茶碗、小皿など、食生活に合わせた器の形はこの頃にスタイルが出来上がって、200年以上経った今も、基本は変わらずに当たり前のように私たちが使っていることを考えれば、当時はさぞ活気に満ちていたであろう緑の遺跡のような場所にも、不思議に親近感が沸いて来る。天草では、そんな歴史を経て現在に至った何種類もの器が見られる。陶石の白さを誇る高浜焼では、昔のものとは思えないような、洒落た復刻版の器も手に入る。思えば江戸は、着物の柄にもわかるように、身の回りのものを美しく作り上げる感覚を持った時代だったのだ。

丸尾焼は独特な窯元で、現代の若い陶工達が勉強する場でもある。それもあってか、使い方に悩まずに気楽に取り入れらそうな、カジュアルな器が楽しげに並ぶ。それとは対照的に、昔ながらの仕事を続けている佇まいなのが、水の平焼で、トーンの揃った器が並ぶ景色からは、代々釉薬に工夫を重ねてきたことが伺えるようだ。
8代目の兄弟は、今は水の平焼の基本を守っているように見えるが、作品はどことなく若々しい。鉄色と碧の組み合わせを見ていると、これから先、伝統が土台にありながらも、兄弟がそれぞれの持ち味で作る、これまでとは違った器を期待したくなった。

あとがき

天草は、熊本県にありながらも独特な場所だ。見方によっては、小さな独立国のようにも思えて来る。意外に広いから、簡単には全貌を掴めそうにはないが、陶磁器の他にも、滋味豊かな自然塩や海産物があるのだから、きっとまた訪ねて行くことになるだろう。同じ日本の中でも、未知の土地を訪れる時、見知らぬ時代に思いを馳せることになることが多い。長い間に受け継がれてきたものが色あせずに残っているから、暮らしを見直すヒントをもらう旅になるのだと思う。


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