唐津の魅力が凝縮した「隆太窯」

- Karatsu-city, Saga

次に、現在の唐津の顔ともいえる「隆太窯」を訪ねた。隆太とは、十二代太郎右衛門(無庵)の五男である中里隆氏の隆と、十二代太郎右衛門の太の字をとった窯名。偉大なる陶磁器学者であり、晩年は自身の作陶でも名を馳せた小山冨士夫氏の命名だという。
緑豊かな木々の間から射す木漏れ日、小川のせせらぎ、美しい棚田… 日本の原風景を思わせるのどかな景観の中に、「隆太窯」はひっそりと佇んでいる。敷地へ入り、母屋へ続く石畳を左に見て進むと、ギャラリーが見えてくる。さらに川伝いに下りていくと、陶房に突き当たる。整然と片付いた作業場には、蹴ろくろが3台、田園を背に並んでいる。壁際に置かれた古いストーブの上ではしゅんしゅんと湯が沸く。初めてなのに、どこか懐かしさを覚える癒しの空間だ。

中里隆氏の来歴

隆氏は、唐津焼の本流・中里家に生まれ、佐賀県立窯業試験場で基礎を学んだのち、アメリカ、欧州、中近東、東南アジア、韓国を旅して見聞を広めた。その後、種子島で開窯し、焼き締めの手法を会得することで、唐津焼の作風を広げていった。伝統を守りながらも、豪放磊落な作風が高く評価され、また、メディアへ随時登場することなどで、唐津焼の魅力を、広く一般に知らしめ、唐津焼人気の推進役の一人として活躍してきた。

上:中里家の母屋へと続く、美しい石畳。
下:中里太亀作の黒釉扁壺。
長尾さんが杜間道で購入した茶碗。あでやかな黄色の釉が印象的。

長尾さんと太亀さんのご縁

隆太窯を訪れた日は、あいにく隆氏はアメリカ出張で不在。長男の太亀さんがしっかり窯を守っていた。
実は、太亀さんと長尾さんとは、昨年の東日本大震災後に、仙台のギャラリー「杜間道」で、被災地を応援するために行われた「作家のきもち展」以来のご縁だ。長尾さんも関わったその展示会で、出品されていた太亀さんの器を購入したのだ。そしてなぜか、何度も唐津へ足を運んでいるのに、対面するのは今回が初めてだった。
「お目にかかれて嬉しいです。その節は、ありがとうございました」と長尾さん。
「茶碗が割れて困っている人もたくさんいるだろうと、無償提供した作品を半額で買っていただき、その売り上げを全額寄付しました」と、太亀さんが返す。
「多くの方が喜んでいらっしゃいました。それにしても、幸せそうな茶碗でしたね」。

上:勢いのある刷毛目の小皿に、屋久島の伯母様の手作りというよもぎ餅が映えて、なんとも美しい。中左:ショップのディスプレイ。中里隆さんの器が中心のコーナー、太亀さんの作品のコーナーもある。中右:古い時代のストーブ。下:仕事の手を休めて、気軽にインタビューに応じてくれる中里太亀さん。

生活を豊かにする器

「陶芸家になることは、子供の頃から決めていらしたんですか?」
「決めていたというか、自然の流れでした。高校、大学と体育会のヨット部に所属し、合宿生活では、ほんとうにひどい飯を食わされました(笑)。で、逆に毎日の食事の大切さに思い至り、まずは、日々使う器からと、気づけば、家業である陶芸の道へ進んでいたのです」。
だから今でも、器作りの基本は、日々の生活を豊かにする器を作ること。陶芸家として作品を作ることには興味がない、と潔い。
「壺などは焼かないのでしょうか?」
「たとえ大きな壺であっても、生活空間の中で楽しんで使ってもらえたら、そしてその方の生活に潤いをもたらすことができたら、と思っています。だから、大事に飾っていますとか、しまってますとか言われると、いちばんがっかりしてしまう」と、笑う。
太亀さんの器は優しさに満ちている。盛りつけた料理をどれも美味しそうに見せ、満ち足りた家族の食卓を約束してくれるのだから。

上左:牛べらとよばれる、ろくろ成形のための器具。桃山時代にはすでに使われていたと言われる、伝統的な道具。  上右:牛べらを使って、碗のフォルムを形づくっていく太亀さん。
下左:目積みして(重ねて)焼くのも、唐津焼の特徴。下右:美しく石を積んで作り上げた登り窯。

唐津焼たらしめる技法の特徴

制作工程における唐津焼ならではの特徴には、どんなことが挙げられるのだろうか。太亀さんに聞くと、さっそく、実践を交えての講義が始まった。
まず、最も大切なのは土。隆太窯では、唐津特有の鉄分が多い赤土を使用する。そして、足で蹴って回す蹴ろくろを用いて成形する。なぜなら唐津焼では、桃山の昔に朝鮮の陶工が持ち込んだ蹴ろくろの技術がそのまま伝承されているから。当時、焼物の先進地であった美濃や瀬戸では、手回しのろくろを使用していて、それが、新興の唐津焼との大きな違いであったとする記述もある。
牛べらという成形のための小道具も、唐津発だ。ろくろでざっくりと形をとったあとに、碗の内側などに、押し当ててフォルムを決めていく。太亀さんが勢いよく蹴ろくろを回すと、みるみるうちに粘土が円形の小鉢になる。その小鉢の縁に牛べらを当てると、面白いように、縁が折り返る。計4回。すると、慣れ親しんだ、唐津の四角い小鉢が現れる。なるほど、そうだったのかと、まるで手品のように、さまざまの器の形ができ上がるのを、うっとり眺めてしまう。

中里隆さんから学んだこと

上:蹴ろくろが並んでいる様も美しい、作業場。成形したそばから、渡した板の上に1つずつ器を置いていく。板の上にいっぱいに並んだら、屋外などに移動。
下:ねぎ畑を借景に、並んだ器たち。成形後の器を乾燥させているところ。

こうして自在に土を操れるようになるのは、もちろん、一朝一夕のことではない。
「親であり、師匠である中里隆から、まず初めに教わったのは、土の中心をとるということでした。中心を出していく作業のことを土殺しというのですが、それさえできていれば、そこをしっかりしなければと、徹底的に教えられました」。それで初めて、ろくろを御すことができるわけだ。続いて窯を焚くこと、釉をかけること……、と、一つずつ、焼物の基礎を学んだ。しかし何より、数をたくさん焼くことの大切さを教えられたという 「父には、『俺が若い頃には、1日700個ひいた。最低でも500個はひけ』と言われました。実際には、300個くらいしかひけなかったですけれど。でも、数は質を凌駕する。動きに無駄がなくなり、ろくろのスピードが上がるから、器に勢いがでてくるんです」。これは、何より、古唐津の陶工たちが、とにかく数を焼くなかで完成した躍動美に通じるのだろう。

彫三島に刷毛目を組み合わせたそばちょこ。右は焼き締めのぐい呑み。お酒がぐっと美味しくなる。

盛りつけ後を見る

あでやかな黄唐津鉢。

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隆太窯

佐賀県唐津市見借4333-1
tel 0955-74-3503
fax 0955-74-6636
www.ryutagama.com


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